好きな人からの返信がないだけで、その日一日の色が変わる。
既読スルーされると、送った文章を何度も読み返して、どこで間違えたんだろうと沈んでいく。
相手に必要とされている手応えがないと、自分の存在ごと薄くなる感じ…
これまでインフルエンサーたちのSNS発信に、裏方として長く関わってきたが、画面の中では自信たっぷりに見える彼女たちも、撮影が終わって力の抜けた雑談になると、驚くほど同じ本音をこぼす。愛されたい。必要とされたい。その気持ちが強すぎて、かえって恋がこじれていく、と。
なんだ、この人たちも一緒なんだ
それを最初に聞いた夜、ちょっとだけ肩の力が抜けた自分がいた(笑)。
華やかさとは無関係に、この願いは深いところで多くの人を縛っている。しかも厄介なことに、強く願うほど空回りする。今日はその仕組みと、じゃあどうすれば愛される側に回れるのかを、現場で見てきたまんま書いていく。
愛されたいが強い人に、静かに共通していること
表には出さないのに、心の中でずっと確かめている
外から見ると、むしろ余裕のある人に見えたりする。仕事もできるし、笑顔も自然。でも内側では別のことが起きているんだよね。
相手のLINEの文面が少しそっけないだけで、ドキッとして理由を探す。他の異性と楽しそうにしているのを見ると、胸の奥がキュッと縮む。会えない時間が続けば、忘れられていないか不安になって、用もないのに連絡してしまう。
嫉妬深いわけじゃない。ただ、愛が途切れる瞬間がこわい。だから先回りして、相手の顔色を読み続ける。読んで、合わせて、また読む。この無限ループに入ると、恋愛そのものが心を削る作業に変わっていく。
正直なところ、この状態の人ほど、本人は必死に努力しているつもり。頑張る方向が、ほんの少しずれているだけなのに。
根っこにあるのは、恋愛テクニックの不足じゃない
モテ本を何冊読んでも、この苦しさは消えない。理由はシンプルで、問題が恋愛の外側にあるから。
自分で自分に価値を感じられない。ここが震源地。中に安心の土台がないぶんを、相手からの愛で埋めようとする。埋めても埋めても、穴は内側にあるから満ちない。はぁ…と何度ため息をついたところで、根っこが変わらなければ同じことの繰り返し。
もうひとつが、いつか見捨てられるという静かな確信。心理の世界では不安型の愛着と呼ばれる傾向で、相手のささいな態度を拒絶のサインとして拾ってしまう。幼い頃に、いい子でいれば、役に立てば愛してもらえた、という体験を重ねた人ほど、この回路が強く残る。愛は勝ち取るもの、という前提が骨の髄まで染みているわけ。
この震源地に触れないまま恋愛を語るのは、私はほとんど気休めだと思っている。
愛されたいと必要とされたいは、似た顔をした別ものだった
愛されたいは、ここにいていいという許可
愛されたいの本体は、存在そのものを受け入れてほしいという願い。何かができるからでも、役に立つからでもなく、ただそこにいるだけで歓迎されたい。条件のつかない承認、と言い換えてもいい。
これを求めるのは、ごく自然なこと。人として当たり前の欲求で、恥じる必要はどこにもないよ。
必要とされたいは、役に立てているという手応え
いっぽうでこちらは、機能として認められたい願い。あなたがいないと困る、あなたのおかげ、その言葉で自分の値打ちを確かめたい。
ここに落とし穴がある。多くの人は、存在ごと愛されたいと願いながら、実際には必要とされることで愛を手に入れようと動いてしまう。求めているものと、やっていることがねじれている。このねじれこそ、空回りの正体だった。
あるインフルエンサーが、ぽつりとこぼした言葉が忘れられない。仕事を頼まれると安心するけど、ただ会いたいって言われると、逆にどうしていいかわからなくなる、と。必要とされることには慣れているのに、ただ愛されることには不慣れ。これ、彼女ひとりの話じゃないんだよなぁ。
必要とされたいが強い人が、つい先回りしてやること
尽くして、断れなくて、都合のいい存在になっていく
相手が忙しいと察したら、聞かれてもいないのに手を貸す。デートの店も日程も、ぜんぶこちらが整える。無理なお願いにも、嫌われたくなくて笑って応じる。気づけば、相手にとってやたら便利な人になっている。
便利さと愛おしさは、まったくの別ものなのにね。
尽くすこと自体は、悪じゃない。ただ、尽くさないと不安でいられないなら、それはもう好意ではなく、価値を失う恐怖に動かされている状態。ここは正直なところ、絶対に見誤らないでほしい。
それ、愛を受け取ってるんじゃなくて、価値を証明してるのかも
役に立った瞬間だけ、ホッとする。感謝されると、生き返った心地がする。でもひとりになると、また不安がじわじわ戻ってくるでしょ。
このサイクル、依存の入り口にとても近い。相手に必要とされることでしか自分を保てなくなると、二人の関係は愛ではなく、需要と供給の取引に変質していく。片方が尽くし、片方がそれに甘える。共依存と呼ばれる形の、静かな始まり。
尽くしても満たされないのは、あなたの尽くし方が足りないからじゃない。証明では、愛は手に入らないから。ここに気づけた人から、恋愛の景色が変わっていくんだ。
なぜ、頑張るほど恋が遠ざかっていくのか
追いかけると重くなり、離れていく力学
不安になると、人は距離を詰めにいく。連絡の頻度を上げ、会う約束を急ぎ、気持ちの確認を求める。ところが相手からすると、その圧はじわりと重さに変わっていく。
重いと感じた相手は、無意識に一歩下がる。下がられた側はもっと不安になって、さらに追う。追えば逃げる、逃げれば追う。この鬼ごっこが始まった時点で、恋の主導権はすでに手放しているようなもの。
皮肉だよね。いちばん愛されたい人が、いちばん愛を遠ざける動きをしてしまう。まさか自分の努力が逆効果だったなんて、渦中にいると気づけっこない。
子どもの頃に覚えた、条件つきの愛という設計図
なぜ追ってしまうのか。多くは、過去に覚えた愛の型が、今も勝手に再生されているから。
成績が良ければ褒められた。手がかからなければ喜ばれた。わがままを言うと、そっと距離を置かれた。そんな小さな体験の積み重ねが、愛は条件を満たした人だけが受け取れる、という設計図を心に描く。
大人になって恋をするとき、その設計図が動き出す。条件を満たさなきゃと焦り、尽くし、確認する。あの時の自分が、今も相手の顔色をうかがっている(泣)。まずこの設計図の存在に気づくことが、書き換えの入り口になるよ。
内側から満たして、存在ごと愛される人になる
まず、自分で自分の機嫌をとれるようになる
遠回りに聞こえるかもしれない。でも、いちばん効くのはここ。愛を外へ取りにいく前に、自分の中に小さな安心の泉を持つこと。
やることは、驚くほど地味さ。今日できた小さなことを、自分でちゃんと認める。好きなものに時間を使う。恋愛のほかにも、心が動く場所を複数つくっておく。自分の値打ちの供給源を、恋人ひとりに集中させないこと。ここが分散していると、相手の態度に一喜一憂しなくなる。
私が見てきたなかで、恋がうまく回り出した人は、決まってこの土台づくりから始めていた。順番を逆にすると、たいてい遠回りになる。愛されてから自信をつけるんじゃない。自分を満たしてから、愛が入ってくる。
モテる人は、必要とされ方がそもそも違う
ここからが、現場で気づいた核心。愛される人が必要とされていないわけじゃないんだ。必要とされ方の質が、まるで違う。
不安な人は、失う恐怖から尽くす。愛される人は、満ちているから分け与える。同じ与える行為でも、出どころが正反対。前者は相手に見返りを無言で求め、後者は与えること自体を楽しんでいる。この温度差を、人は驚くほど敏感に嗅ぎ分けるんだよね。
だから、必要とされたい願いを消す必要なんてない。向きを変えるだけでいい。相手に埋めてもらう位置から、自分が満ちて溢れたぶんを渡す位置へ。同じ人が、同じ優しさのまま、愛される側へ移っていく。何人ものインフルエンサーが、この一点で恋愛を立て直していくのを、私はすぐそばで見てきた。
愛されたいと願う、その強さは欠陥じゃない。向ける先をほんの少しずらせば、そのまま、人を深く愛せる才能に変わっていくから。

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